「怒られるから、やめなさい」
川辺で石を投げて遊んでいる子供たち。周りにも人がいるので危ないので、親に少し注意したら、子どもに向けて言った言葉だそうです。これは、私が懇意にしているBarで聞いたお話し。
「怒られるから、やめなさい」
親から子供へのしつけとして、何か違うでしょう!
と思った方が多数ではないでしょうか。
「やめる理由」が「怒られる」という部分に違和感を感じるでしょう。石を投げないというのは、周りの人たちが怪我をしたりするからで、怒られる側が不利益を感じるからやめるというのはおかしいと思うはずです。
けど・・・それがコンプライアンスという場面だと、みなさんの考え方はどうでしょう?
法律で決まっているからやめなさい
コンプライアンスというと法律で決まっているからやめなさいとしがちではなでしょうか?
ハラスメント対策、労務管理、個人情報保護などなど法律で決まっているからやらなくてはいけないという感覚。
コンプライアンス体制をトップダウンで法律で決まっているからと構築して実践するとなると疑問を持ったままとりくむことになります。
そして、コンプライアンスが実現できるかというと、実現可能性が下がります。
私が中学生のころ、「ワンポイントが入ったTシャツを着るのは禁止」「整髪料は禁止」というルールがありました。
ルールで決まっているから着てはいけない、整髪料はつけないと押し付けられていると、反発するという生徒も当然出てきます。
結果として、ルールの実現というものができないということになります。
これと同じことが、コンプライアンスでも言えるのではないでしょうか?
問題は、押しつけという点もありますが、コンプライアンスを構築する側が「法律で決まっているから」という理由で実践しようとすることです。
先ほどの中学生の頃の話でも、私が「なぜ?着てはいけないのか?」「なぜ、整髪料がいけないのか?」に対しての回答は、「ルールだから」とかよくわからない理由ではぐらかされたものです。
法律で決まっているからという理由では、コンプライアンス体制は作れないということになります。
罰則があるからやめなさい、損害賠償を請求されるからやめなさい
「人を殺してはいけない」のは、刑罰が科されるから。ということだけで、人を殺さないのでしょうか?
冒頭の「怒られるから、やめなさい」の例と同じで、罰則があるからという理由だけではないはずです。
人に迷惑をかけるから、人が悲しむからといった他者を思いやってのことがあるのが主な理由でしょう。
しかし、ハラスメント対策や個人情報保護、またビジネスパートナーとの関係といったコンプライアンス体制ではどうでしょう?
罰則があるからやめなさいや損害賠償を請求されるからやめなさいということになっていませんか?
ここでも、不利益が与えられるからという理由でトップダウンで抑止するということに重きが置かれると、実践していくのにどうしてもモチベーションはあがりませんし、意識も高まりません。
なぜ罰則があるのか?なぜ禁止しているのか?というところから、共通のVisionを描いて実践していくということが求められます。
例えば、「人を殺してはいけない」というのは「殺人が横行する社会はどんな社会になるのか?人々が嘆き悲しむ無秩序な社会はダメだよね。みんなが笑えるようにしないとね」ということがあるはずです。
これと同じように、なぜハラスメント対策をするのか?を損害賠償を請求されるからとか法律で決まっているからという理由ではなく、「お互いに尊重し合い活躍できる社会がいいよね」というVisionを持つことです。このビジョンを共有して、組織全体の意識を持った取り組みが求められます。
冒頭の親のように「怒られるから、やめなさい」ではなく、トップが「なぜやってはいけないのか?」を理解し、そして共通のVisionを示し意識を共有する体制がコンプライアンス体制の第一歩になります。
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