ここ数日「親の責任論」が話題になっていますね。成年の子の不祥事に対して、親は責任があるのか?ないのか?
当事務所へも親へ責任を問いたいのだけど・・・という相談が来ることもあります。
そこで、話題となっている「親の責任」について法的な観点でお話をしていこうと思います。
責任を分けて考える~法的責任と道義的責任
まず、「責任」について。
責任には、「法的な責任」と「道義的な責任」とに分けられるでしょう。
今回、話題となっている事件での「親の責任」では、「法的な責任」はないが「道義的責任はあるのでは?」ということになります。道義的責任となると、価値観・道徳観もからんできますので、意見は様々なものになるでしょう。
今回の事件では、成年の子を親が仕事で多くの方に紹介・営業をしていたという事情もあったようです。そのような背景があるならば、仕事の関係者には特に「道義的な責任」ということは問われるのかもしれません。
親が法的責任を負うという規定
さて、この記事では「法律の解説」なので、親の責任に関する規定が中心です。
親の責任については、以下の条文があります。
(責任無能力者の監督義務者等の責任)
第714条 前二条の規定により責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。
難しい聞きなれない言葉が並んでいる印象を受けるかもしれませんね。
この条文の意味は、責任能力ということから説明しないといけません。そこで、以下の条文もご紹介します。
(責任能力)
第712条 未成年者は、他人に損害を加えた場合において、自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかったときは、その行為について賠償の責任を負わない。
具体的なモデルケースは、小学生が人を怪我させてしまったり、物を壊してしまった場合には、その小学生は賠償の責任(法的な責任)を追わないということです。
そうすると、小学生が人をケガさせた場合で、その小学生が責任を負わない場合に、その親が責任を負うとするのが先ほどの724条の規定ということになります。
ただ、親が必ず責任を負うか?というとそうではありません。
例えば、以下のような事件がありました。
親が法的責任を負わない場合
小学生がサッカーの練習をしていて、ゴールに向かってシュートしたところ、大きくボールはゴール枠を外れ、校庭の外に出てしまいました。そのボールが、小学校の横の道路をバイクを運転していた高齢の男性に当たりそうになり、男性がボールをよけたところ転倒。男性は、骨折し、その後認知症の症状が出て、1年半後に肺炎で死亡したという事件。
この事件で、死亡した男性の遺族らが、不法行為に基づく損害賠償請求の訴えを提起しました。このボールを蹴った男性は当時小学生であり責任能力がないので、小学生の親に対して、先ほど紹介した民法714条に基づき損害賠償請求しました。
この事件の判決(最一小判平成27年4月9日(H24(受)第1948号)は、次のようなものです。
「責任能力のない未成年者の親権者は、その直接的な監視下にない子の行動について、人身に危険が及ばないよう注意して行動するよう日頃から指導監督する義務があると解されるが、本件ゴールに向けたフリーキックの練習は、上記各事実に照らすと、通常は人身に危険が及ぶような行為であるとはいえない。また、親権者の直接的な監視下にない子の行動についての日頃の指導監督は、ある程度一般的なものとならざるを得ないから、通常は人身に危険が及ぶものとはみられない行為によってたまたま人身に損害を生じさせた場合は、当該行為について具体的に予見可能であるなど特別の事情が認められない限り、子に対する監督義務を尽くしていなかったとすべきではない。」
以上のような判断をし、「親に監督義務を尽くしていなかったとすべきではない」として親の責任を否定しました。
これは、民法714条ではこのように規定あるからです。
「ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。」
責任を問うということ
さて、親が責任を負うか否か?ということを考える際に、法的な責任という面なのか?という視点で考えると、「親が責任を負わない場合」ということが見えてきます。
ただ、一方で「感情」ということから考えると、「法的な責任」だけで全てが済まされるということでもありません。道義的な責任ということもあるでしょう。
「親の責任」から責任をどのように問うか?
具体的には、法的責任まで追及するのか?道義的責任までにとどまるのか?という視点で考えることになるでしょう。
このことは、親の責任だけではなく、企業の不祥事においても同様でしょう。これは前回の記事でもご紹介した「お詫び」に関連してきます。
責任を問う、問われるということについて、少し考えるきっかけにしてみてください。